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2022/10/10

両面宿儺は縄文人の末裔だった?飛騨の伝説と古代日本

アニメ『呪術廻戦』 でお馴染みの宿儺は実在の人物だったってご存知ですか?

先日、飛騨金山の筋骨めぐりツアーに参加した際、小高い丘の上に両面宿儺の碑が立っていました。

「仁徳天皇の時代(377年頃)、高山市丹生川町にある出羽ヶ平の岩窟より二つの顔と四本の手足を持つ奇人出現、飛行してこの地に杖を止め、大悲の陀羅尼(苦しみを救う仏の呪文)を論じ、国家安全、五穀成熟の祭祀をつとめ、後、高沢山に飛行せり、これよりこの山を鎮守山と名付けた」

二つの顔と四本の手足を持ち、空を飛ぶ怪人!?
身の丈一丈というと、約3メートルの巨体です!

そんなモンスターのような人が実在していたってどういうこと?

ガイドさんによると、それは誇張された表現で、両面というのは荒々しい面と慈悲深い面を併せ持っていたという意味じゃないかと言うことでした。

まるで陰陽のようですね!

たしかに鎮守山の両面宿儺は、苦しむ民衆を救うありがたい姿で描かれています。
実際、地元では武勇に優れた英雄として、そして農耕や神事の指導者として、人々に敬愛されていたそうです。

でも、日本書紀には大和朝廷に逆らい人々を苦しめたため、難波根子武振熊に討伐されたと記録されているのです。

歴史は勝者によって作られるものだと言います。両面宿儺は中央政府からすると邪魔な存在だったのでしょう。

「この地方を治めていた豪族だったけれど、税の取り立てに応じなかったから、朝敵として討たれたんじゃないか」

とガイドさん。

両面宿儺が武振熊に負けた後は、税を納める代わりに年に100人程度を都に差し出すことになり、それが飛騨工のはじまりだと教えてくれました。

飛騨工と言えば、豊かな自然の中で木の性質を知り尽くし、卓越した技を持つ木工技術者たちのこと。

その起源が、両面宿儺にあったとは!?


さらに興味深いことに、飛騨は縄文の血を色濃く残す土地だから、都へ派遣された飛騨工たちは大柄でとても目立っていたというのです!

狩猟採集の生活で肉を主食としていたため、お米を食べる弥生人よりも大柄でたくましかった縄文人。

両面宿儺も縄文系だったから、大和の人々には異形の怪物のように恐ろしく感じられたのかもしれませんね。

中央政府に抵抗した勢力としては東北の蝦夷や九州の熊襲がよく知られていますが、日本の真ん中にも山深かったからこそ独自の文化を守っていた飛騨の民がいたんですね!


岐阜県出身の私ですが、両親は大阪人で小学校卒業までは名古屋で育ったので、実は岐阜のことをよく知りません。

緑豊かな自然に恵まれた場所だから、縄文時代や古墳の遺跡が数多くあるというのも、最近になって知りました。

陰陽五行で土タイプの私は、古代史が大好物です!
土は文化や伝統、土着の民俗や風習、考古学、歴史など、古き良きものを表すからです。

足掛け20年の海外生活を経て戻ってくると、日本はいろんな意味で不思議な国です。
日本の文化や日本人のルーツを探って行くと、陰陽五行のルーツにつながるんじゃないか?

そんな気がしてなりません!

これからも、地元や全国各地の伝説を訪ねて、探究を重ねて行きたいです。

金山町観光情報サイトはこちらです:
http://hidakanayama.com/index.html

両面宿儺は縄文人の末裔だった?飛騨の伝説と古代日本
両面宿儺は縄文人の末裔だった?飛騨の伝説と古代日本